2007年11月

1枚の写真。。。。

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   1枚の写真。原爆が投下された直後の長崎での写真である。
写真を撮影したのは、「ジョー・オダネル Joe O’Donnell 」というアメリカの従軍カメラマンで,以下、オダネル軍曹の談話。少年は生きていたら70歳くらいだろう。 両親も亡くし、背中に亡くなった弟を焼き場まで背負ってきた少年の写真である。拡大すると唇をかみ締めている.下唇には血がにじんでいたそうです。もうすぐ12月15日。日本が戦争に突入した日である。

焼き場に十歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じつと前を見続けた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。
私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか。
この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢
f0097429_20592753で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。

ジョー・オダネル氏は2008年8月9日に85歳で亡くなった。その日はその63年前に長崎に原爆が落ちた日だった。 更に詳しいブログはここで

(写真が破損していたため記事を2009年11月6日作り直しました。コメントもコピーして入れなおしました。この記事は保存しておきたいので、、。


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03world平和が遠のいた。イラク情勢

2007年11月26日:何とか終結に向けて進むのかなと思ったイラク戦争はまた新たな火種を抱えたようだ。最近の情勢を簡単に書けば、アメリカのてこ入れで何とか国内多数派シーア派を中心に樹立したイラク(暫定)政府は治安回復を急いでいる。依然としてシーア派過激派、スンニ派過激派との抗争は続いているが、穏健派スンニ派の一部はイラク政府治安部隊に参加し、昔の仲間である同じスンニ派過激派と戦闘状態が継続中。しかし、海外のイラク避難民も帰国したりで、少しは町に活気も見えている。

問題は北部に位置するクルド族kurdishだ。彼らはイラク北部にクルド自治政府を名乗り、イラク中央政府とは別な国家体制を作ろうとしている。地図で分かるように(薄いピンク色の部分がクルド人分布)、彼らクルド民族分布はイラク北部から隣のイラン、トルコ東部にもまたがっており、トルコ政府はクルド自治政府の樹立に神経質になっており、新たな戦争の火種にもなっている。クルド自治政府は自治領土内の石油採掘権を海外に売って再建資金の確保を計画しているのだが、24日になってこんなニュースが出てきた。イラク政府はイラク中央政府に無断で契約したクルド自治区の石油採掘権の契約を全て無効にするというもの。クルド族の勝手にはさせないということだろう。これは大問題で、イランを支援国に持つクルド族は大反発するだろう。そのイランはロシア、中国とつながっている。

一瞬、終結に向かっていると思ったが、どうやら別な局面を向かえそうだ。アメリカ軍の戦死者は公式には通算で4000人を超している。実際にはその数倍が戦死しているといえるだろう。なぜなら2005年だけで復員後のアメリカ兵の自殺は6256人で、その数は毎年増加しているからだ。行き場を失った過激派は南部バスラ(首都バグダッドから南へ600キロ)で毎月数十人の女性を殺害している。単にスカーフ(ヒジャブ)をしていないだけで。。2007年11月24日、イラク戦争はイラク中央政府と北部クルド族、さらに南部残留スンニ、シーア派過激派との新たな戦争に突入した。このままではイラクは北部クルド族自治区、中部シーア派イラク中央政府、南部スンニ、シーア派過激派地区(イランの傀儡)の3つに分断する可能性が高い。その後2008年1月ブログ:
イラク北部クルド人自治区と国際紛争(1)修正

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2007年11月25日  事故 災害 環境災害 
CI0003鋳鉄管製造大手の栗本鉄工所(大阪市西区、東証・大証1部)が、カタログで 公表している自社仕様より薄い鉄板を使った型枠を、高速道路の橋工事用として 旧日本道路公団に納入していたことが2007年11月21日、わかった。納入時に提出を求められる強度試験のデータも改ざんしていた。..。。。分かりづらいから図を載せ た。構造物の軽量化のために直径30cmから140cmほどの鋼管を埋め込む(型枠とは言っても抜き取りはしない)のだが、これに強度不足のものを40年 間に渡って国をだましていたという。カタログ仕様だと厚さが0.7-1.6ミリあるべき製品なのに、それより0.1-0.4ミリ 薄い鉄板を使った型枠を納入していたというから、自分の経験から言ってこの誤差はかなり強度に影響するし金額も違う。これが見抜けない国とは大バカか怠慢 としか言い様がなく、見抜けない現場の技術者は無知というしかない。それも40年も。。

アメリカなどではこういうことを防ぐために インスペクター制度  というものを設け、公共工事には独立した施工管理者に現場をチェックさせる。。これで、もし工事の不良箇所が見つかれば、このインスペクターの権限でゼネ コン工事はストップ、やりなし、さらに、支払いを停止できる。日本では工事側が自首検査して発注側の役所もそれを鵜呑みにする。日本にもインスペクター制 度に近い資格制度はすでにあるが、機能としては公共工事に織り込まれてはいない。工事をするゼネコンと、それにべったりな役人が邪魔をしている。まー、そ んな制度を作ってもワイロと接待で担当者が取り込まれるだろう。自分はこれに近い資格を持っているが(自分の資格は主に建築工事で今回は土木工事が問 題)、この業界の癒着(ゆちゃく)、隠蔽(いんぺい)体質にはうんざりしているので、どこの組織にも所属していないフリーランサー(freelancer)で、
フリーアナウンサーフリージャーナリストなどと同じ、会社に所属したり特定の会社と専属契約を結んでいない自営業。遂行する本人をフリーランサーと呼ぶ。日本語で は自由契約。俗に言う一匹狼という奴ですね)で仕事をしている。栗本の件は氷山の一角で、こんな偽装は山ほどあるだろう。それが表に出ないのは、そんな会 社にはごっそり役人が天下っているから。全ての悪の根源はここに行き着く。 こうした橋が全国で7350箇所。実際はもっと多いだろう。

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幾らノーベル賞作家でも

181286951太平洋戦争末期の沖縄戦で、軍指揮官が「集団自決」を命じたとする本の記述をめぐる 訴訟は9日、大阪地裁き口頭弁論があり、ノーベル賞作家の 大江健三郎さんが出廷。座間味、渡嘉敷両島での集団自決について「軍の命令があったと 考えている」と証言した。 大江さんは証言に先立ち陳述書で「集団自決は戦争下の国、日本軍 現地の軍までを貫くタテの構造の力で島民に強制された。命令書があるかないかという レベルのものではない」との考えを示した。 両島で1945年3月に起きた集団自決をめぐり、大江さんの「沖縄ノート」など3冊の本は  守備隊の命令があったと記述。座間味島の守備隊長だった原告梅沢裕さん(90)らは 「誤った記述で非道な人物と認識される」として2005年8月、岩波書店と大江さんに 出版差し止めなどを求め提訴した。

MD20060826110297_baseしかし、戦後の琉球政府で  軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82:右)が、「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等  援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑性が 薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。 照屋さんは、旧軍人軍属資格審査委員会委員を務め、当時、援護法に基づく年金や弔慰金の  支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や日本政府南方 連絡事務所の担当者らで、集団自決犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。 照屋さんらは、赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったが、照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった。その後、作家の曽野綾子さんが調査を基にした著書「ある神話の背景」で軍命令説への疑問を提示している。資料


正直言って自分は大江健三郎氏には疑問を持っている。南京大虐殺に関しても、一方的に中国の言い分を代弁する立場で、言っていることが偏りすぎていると思っている。終戦のとき10歳で本州にいた作家と二十歳前後で島で実体験した老人の言うことのどちらに信憑性があるか。考えるまでもないだろう。この老人が今証言するのは、自分の嘘で年金や弔慰金を受け取った人がほとんど亡くなったからだろう。この老人の戦後はまだ終わっていない。


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2007年11月08日  犯罪 北欧 ロシア 東欧

あのフィンランドで !

       pekka-eric-auvinenフィンランドが安定したいい国だと書いた矢先にこんなニュースが出てきた。自分はここの国に数年間住んだのだが、銃犯罪のニュースは聞いた記憶が無い。あ の国を知る人は誰しも驚いただろうし、世界的なニュースに成っている。フィンランド南部トゥースラ(Tuusula、なんと住んでたVantaaから20 キロも離れていない)のヨケラ中高等学校(Jokela Kansan korkeakouluか? 訳が間違っていたらごめんなさい)で7日、男子生徒(18)(本人はJorkki ヨルッキ と名乗っているが. Pekka-Eric Auvinen  が本人 の名前、病院で死亡) が授業中に女性校長や生徒ら8人を短銃で射殺した事件で、警察に包囲された男子生徒は自分で頭を撃って死亡した。男子生徒は最近、言動がおかしかったが、 先月中旬、正規ルートで短銃を購入していた。、、一見ロシア風な顔立ちでおとなしそうな青年だが、どうやらナチズム当たりに傾倒していたらしい。YOUTUBE

人口約 524万人の同国(日本くらいの面積に北海道ほどの人口と思ってください)は、
米国、 イエメンに次ぎ世界で3番目に銃保有数が多い。100人当たりの保有数は56。狩猟人口が30万人と多いのがその理由で、確かに期間限定できじ撃ちや鹿撃 ちをする人は多い。フィンランドはすでにうっすらと雪が積もっている。 フィンランド語の記事はここ

nappi11 at 00:30│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック