2006年12月

正しい知識を..

知り合いでオジよりかなり若い,たま にブログを読んでいる彼がいわく(病気がち),「こんなに医療費かかるようだと共産国にでも行かなきゃ暮らせませんよ..日本は高すぎですよ」..共産国 イコール国民に均等な医療がタダだとでも思っているのだろうか.随分と古い知識でものをいっている.身近な中国を例にしよう.他の国,ロシア,キューバなどは住みたくても住めませんからね.結論から言えばむちゃくちゃに高い.最近の記事から抜粋すると....
... 日本人旅行者を例にとると、腰椎圧迫骨折で約630万円、左大腿骨骨折で約430万円請求されている。もう常軌を逸している。これが中国人患者となると、 医療費はさらに高騰する。黒竜江省のハルビン医科大学付属病院に皮膚がんで入院し、治療を受けた末、死亡した老人(74)のケース―約8千万円。深圳市の 病院で、必要のない高額医療を患者に説明なく行い、約1千750万円。検査だけでも都市部の勤労者の平均月収を上回るという。...
旅行者には損害保険があり,中国の国 民には医療保険がある.ところが中国の66%が未加入で全額負担になる人が多い.この高額では払えるわけも無い.そのためにとんでもないことが起きる.患 者や遺族が病院を焼き討ちしたり(カルテごと焼いてしまう),医療費を払えない患者を病院が外に放り出した例がある.さすがに中国でもこの病人遺棄事件が問題になり制度見直しを検討するというが望みは薄い.根本的に医療費が高すぎるのです.漢方とか民間医療が盛んなのもこの辺が原因でしょう.今の中国の状況は病院で命は助かっても生活が破綻する.

DCHGydgさ らに恐ろしいのが中国のエイズです.2004年時点でHIV感染者84万人,エイズ発症者8万人,すでに感染者は100万人を超したとの報道もある.すべ ては国が奨励した売血の不備とその後の血液検査の杜撰による輸血からの感染が原因で,多くは貧困の為に治療を受けられ無いばかりか,病院が治療を拒否した 例もある.普通は都市部に多いエイズが,中国では貧困から売血した農村部に多い.中国ではいつも犠牲になるのが農
民とは気の毒な話です.これでは中国で治療を受けるのも命がけで,更に最 近の中国都市部では交通事故も急増している.とにかくルールを守らないらしい.なんとなく想像はつく.行く予定の方は損害保険を忘れずに.そして治療は瀕 死でなければ帰国してから...写真は政府の宣伝に載って我先にと売血コピー ~ yCFY3sする農民と,両親をエイズで亡くした少年.つくづく思うのだが,この国と陸続きだっ たらどうなっていたのだろう.一緒に国慶節祝っていた?いや,そんな問題じゃなくてさ....(日本の2006年11月のHIV感染者8000人,エイズ 発症者4000人).

このを一番乗りで「Like」しませんか ?

6件のコメント

  1. 尚(仮名)
    投稿日時: 2006年12月18日 5:07 AM | パーマリンク | 返信

    環境を汚染をしたり、病人には冷たかったり…かの国はそれで何が潤っているのでしょう。国民の心は離れていく一方だと思うんですけどね…いや、反感なんて抱いただけでも逮捕とかされそう…


nappi11 at 08:36│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
2006年12月13日  ネコ 個人

フーの一等地

フーが朝まで布団の中に居て,布団の隙間から居間の方向を伺っている.フーが考えているのは「部屋は暖まったかな?」
温まった頃布団からアクビしながら居間に行く.そこにはフーの専用一等地がある.ストーブの前.ストーブにお尻を向けて陣取る.ストーブの下の隙間から暖かい微風が出ているのを知っているから,どうしても座り方がこうなってしまう.おまけにおなかの下には床暖が入っているから気持ちがいい.ひたすらこの姿勢でしりあぶり..ただひたすら..時の流れに身を任せ..
そのうち背中も暖めたい..なーに横になれば良いだけの話...ゴロン.んーん,天国.眠気が..あーー睡魔が襲う.我慢できない....天下泰平.色即是空.唯我独尊.買ってみようか宝くじ(?)...ブツ,ブツ,ムニャ,ムニャ
このストーリーを写真に撮ると下のようになる.こうしてフーの雪国の一日が過ぎる.

nappi11 at 14:49│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
2006年12月10日  歴史、史実、記録 
yXBBRfzpgwE

猫と夏目漱石と北海道

2006年12月9日は「我輩は猫である」「坊ちゃん」で有名な文豪夏目金之助(漱石)(1867年2月9日 慶応3年1月5日生まれ)の90年目の命日です.坊ちゃんの舞台は四国の松山ですが,松山には1年しか居なかったとある.漱石は50歳でなくなっ ていますが,人生の大半は北海道の漁村,岩内で過ごしました.(?)..東京生まれの夏目漱石,実は本籍だけを移動していたのです.簡素ですが岩内には写 真の「夏目漱石立籍地」の碑があります.戸籍上だけですから本人は一度も北海道には来ていません.
prm1504250010-p1AS20160105003579_comm1892(明治25)年、東京帝国大(現在の東京大学)で英文学を学んでいた漱石は、25歳で東京市牛込区(現在の新宿区)から北海道岩内郡の吹上町(現在の岩内町)に籍を移した。岩内町郷土館には戸籍の写しが残っている。左:本籍地に「北海道岩内郡岩内町」と書かれた夏目金之助(漱石)の戸籍謄本の写し=町郷土館
漱石は亡くなる2年前の1914(大正3)年まで、この町に籍を置いていた事になる。
当時、学生は満26歳まで徴兵を猶予されていたが、漱石は、その期限が切れる前に籍を移しており、結局書類上は、25歳から22年間戸籍上は北海道の人でしたが,理由はどうも当時の兵役逃れと言われているが,本人が説明することは無かったそうです.
当時は国民皆兵で一定の兵役が有りま したが,1889(明治22)年に改正された徴兵令では、函館などをのぞく北海道全域や沖縄、小笠原諸島では施行20100919_665711されていなかった。当時まだ人口が少なく労働力不足という理由で北海道等は除外され,また,その代わり戦争になれば屯田兵として開墾や農業に従事している道民は即戦地 へ出兵となったのですが,すでに屯田兵という志願兵士だった道民の出兵は後回しになりました.屯田兵の目的に,ロシアに対しての警戒が優先であったことも理由か もしれません.漱石は、四国の次に熊本に4年間住んでいますから,漱石が戸籍上一番長く滞在したのは北海道と言うことになります.当時、開発が優先された制度を利用したこの種の徴兵忌避は多く、特にインテリの中では当たり前だったようです。
偶然でしょうが,籍を移すことを送籍 (そうせき)と言うそうで,漱石,送籍2年後(ややこしい話)27歳の時に日清戦争が起きてますが地域的な徴兵免除のおかげで生涯兵役にも戦地にも行く事 はありませんでした.こんなこと,北海道の人もほとんど知らない話です.北海道で「我輩は~」を書いていれば,タイトルは「我輩は北海道の猫である」だっ たかもしれない(笑)参照記事




nappi11 at 20:26│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

硫黄島 市丸少将 ルーズベルトニ与フル書。

20061029_24855412月9日は前の大戦の開戦でもあり,記念番組が多い.21時からの「硫黄島,戦場からの郵便配達」番組予告で市丸利之助少将の名前が出ていた.恐らく家族とのやり取りの物語だろうが,彼は硫黄島の地熱50度,硫黄ガスの噴出す塹壕の中で当時の米国大統領ルーズベルトに和英両文(現代訳)の遺書を残して戦死し(英文ハワイ出身の三上弘文兵曹による),その後遺書は預かって戦死した通信参謀村上治重大尉の腹巻の中から発見され,昭和20年7月米国にて公表された,(ルーズベルトは昭和20年4月12日没)原本は米国の資料館にあり,原文(対英文付)は「ルーズベルトニ与フル書」で検索できると思うが,今では読むのが難解で,ここに公開済み口語訳に自分の意訳,読みを書き添えて記録したい.自分には民族主義的思想は全く無く軍国主義を賛美するつもりもなく,この一文で一部日本兵の行った一連の残虐非道な行為が許されるわけの無いことは承知しているが,文書は自分の死,部隊の全滅を目前に,実に的確に戦争への経過,当時の社会,軍人,日本の立場を表現しており,20061029_248552米国を論理的に非難もしている貴重なものと思う.特筆すべきは,文中,潔く死ぬとはあっても相手を恨むでもなく,ひたすら世界の平和を願っていることを多くの人に理解してもらいたい.持ち出しできないこの書を,必死に書き写した研究者の努力にも敬意を払いたい.かなりな長文でもあり,このブログは自分の個人的な保存用記録であり読み飛ばしてくれて一向に構わない.これ以上平易に直すと文章の格調も無くなる.これがぎりぎりかと思う.転用はご自由に.解釈間違いなどあれば指摘願いたい.彼のエピソード、経歴などはここに詳しいエピソード2
..........................................................................
ルーズベルトに与える書 
日本海軍市丸海軍少将が「フランクリン ルーズベルト」君に書を宛(あ)てる。私は今,私の戦いを終えるに当たって,一言貴方に告げることがある。日本が「ペリー」提督の下田入港を機として,広く世界と国交を結ぶに至ってから約百年の間,日本は国の歩みは困難を極め,自ら欲しないにもかかわらず,日清,日露,第一次世界大戦,満州事変,支那事変を経て,不幸にも貴国と交戦するに至った。この戦に当たって,(貴国は)日本を,ひとつに好戦的国民だとして,あるいは黄禍論(おうかろん:安い労働力を武器に黄色人種が世界を征服すると言う人種差別論)を用いて事実を捻じ曲げ貶(おとし)め,あるいは軍閥の専断(独断専行)であるとする。思いもよらぬもの甚(はなは)だしいと言わざるを得ない。 貴方は真珠湾の不意打ちを以って,対日戦争の唯一の宣伝資料となすけれども,(そもそも)日本が自滅から免れるために,この行動に出るより他はないほどの窮境(きゅうきょう:いきずまり)にまで追い詰めたような諸種の情勢というのは貴方の最も熟知するものであると思う。 畏(おそ)れ多くも,日本天皇は皇祖皇宗建国の大詔(たいしょう:天皇のみことのり,言葉)に明らかなように,養正(ようせい:正義),重暉(ちょうき:明智),積慶(せっけい:仁慈)を三綱(さんこう:儒教で言う守るべき秩序)とする,八紘一宇(はっこういちう:天下をひとつの家のように)の文字によって表現される皇謨(こうぼ:天皇の計画)に基づき,地球上のあらゆる人類はその分に従い,その郷土においてその生を生まれながらに持たせ,それにより,恒久的平和の確立を唯一の念願となさったのに他ならず,これはかつては,
四方の海皆はらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ(世界人類は皆兄弟なのに,どうして戦乱などの波風が立ち騒ぐのか..早く収まってもらいたいものだ..:意訳)
という,明治天皇の御製(ぎょせい:天皇の詩,和歌.日露戦争中の御製)は貴方の叔父,「セオドア ルーズベルト」閣下が感嘆したものであるから,貴方もよく熟知しているのは事実でしょう。 私たち日本人は,それぞれ階級を持っていて,また,各種の職業に従事するけれども,結局その職業を通じてこの皇謨(こうぼ:天皇の計画),つまり天業(天皇の事業)の翼賛(よくさん.補佐すること)をしようとするのに他ならず,われら軍人は交戦を以って天業を広めることを承(うけたまわ)るに他ならない。 われらは今,物量に頼った貴方の空軍の爆撃および,艦艇の射撃のもと,外形的に後へ退くもやむなきに至っているけれども,精神的には,ついに豊かになり,心地ますます明朗になり,歓喜を抑えることができなくもある。この,天業翼賛(よくさん:補佐する)の信念が燃えるのは,日本国民共通の心理であるが,貴方や「チャーチル」君らの理解に苦しむところであろう。いま,ここにあなた方の精神的な貧弱さを憐れみ,以下の一言を以って少しでも悔いることがあればよいと思う。 あなた方のなすことを見れば,白人,特に「アングロサクソン」が世界の利益を独占しようとして,有色人種をその野望の実現のための奴隷として扱おうということに他ならない。このために,よこしまな政策をとり,有色人種を欺き,いわゆる悪意の善政を行うことで彼らを喪心無力化しようとしている。近世に至って,日本があなた方の野望に抗して,有色人種,特に東洋民族をあなた方の束縛より解放しようと試みたところ,あなた方は少しも日本の真意を理解しようと努めることなく,ただ,あなた方に対する有害な存在となし,かつて友邦とみなしていたにもかかわらず,仇敵(きゅうてき:カタキ)野蛮人だとして,公然として日本人種の絶滅を叫ぶに至った。これは決して神意にかなうものではないだろう。
大東亜戦争(太平洋戦争)によって,いわゆる大東亜共栄圏が成立して,所在する各民族はわれらの善政を謳歌(おうか)しているから,あなた方がこれを破壊することが無ければ,全世界にわたる恒久的平和の招来は決して遠くは無いだろう。 あなた方はすでに成した,十分な繁栄にも満足することはなく,数百年来にわたるあなた方の搾取から免れようとするこれらの憐れむべき人類の希望の芽を,どうして若葉のうちに摘み取ろうとするのか。ただ,東洋のものを東洋に返すにすぎないではないか。あなた方はどうしてこのように貪欲で狭量(きょうりょう:心が狭い)なのか。
大東亜共栄圏の存在はすこしもあなた方の存在を脅威するものではない。かえって,世界平和の一翼として世界人類の安寧(あんねい:平穏無事なこと)幸福を保障するものであって,日本天皇の真意は,まったくこれに他ならない。このことを理解する雅量(がりょう,人のうつわ)があることを希望してやまないものである。 翻(ひるがえ)って,欧州の事情を観察すると,また相互無理解に基づく人類闘争が,いかに悲惨であるかを痛感し嘆かざるをえない。今,「ヒットラー」総統の行動の是非を云々(うんぬん)するのは慎むが,彼の第二次世界大戦開戦の原因が,第一次世界大戦の終結に際して,その開戦の責任の一切を敗戦国ドイツに帰し,その正当な存在を極度に圧迫しようとしたあなた方の処置に対する反発に他ならないということは,看過できない。 あなた方の善戦によって,力を尽くして「ヒットラー」総統を倒すことができても,どうやって「スターリン」を首領とする「ソビエトロシア」と協調するのか。 大体において,世界を強者が独専しようとすれば,永久に闘争を繰り返し,ついに世界人類に安寧(あんねい:平穏無事なこと)幸福の日はないだろう。 あなた方は今,世界制覇の野望が一応,まさに実現しようとしている。あなた方は得意げに思っているに違いない。しかし,君らの先輩「ウィルソン」大統領は,その得意の絶頂において失脚した。願わくば,私の言外の意を汲んで,その轍を踏む無かれ。
市丸海軍少将 (写真は少将.家族)映画 父親たちの星条旗 裏話
 日本の終わらない戦後 硫黄島  2009.8.15  米軍カラー記録映像 参考ブログ:2013年4月マッカーサー司令官と市丸少将 関連ブログ:2014年8月15日加筆:映画「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」裏話



nappi11 at 04:05│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

オーストラリアの特殊潜航艇

toku-asibe07戦 記物をかなり読んでいるのでピ ンと来た.2006年11月月末見つかった,オーストラリア,シドニー湾北部での日本海軍特殊潜航艇(特殊潜水艇)の話で.戦後64年目にして見つかった(写真右).1942年(昭和17年)5 月31日深夜に大 型潜水艦より離れ,攻撃に向かったのは3隻の特殊潜航艇(全長23.9m,二人乗り,正式名称 甲標的:攻撃には下図のディーゼルは搭載されずモーターのみで九七式45cm魚雷2本を装備。、写真は過去に回収復元された甲標的甲型).2隻は自爆,自決して1隻が不明だった.乗っていた 方も分かっている.伴勝久中尉=当時(23)と芦辺守一等兵曹=当時(24).相手の宿泊艦を攻撃21名(一部表記19名)の豪州兵が亡くなっている.被 弾しているとの事なので,戻るのをあきらめ自決されたのだろうと思う.ほとんどの場合,出撃すれば生還することは不可能に近い.無線も使えず,深夜に追わ れながら母艦(伊号第24潜水艦sIq3TqFN81DjtOhnGJL8V8)にたどり着くなど神業に近い.時代の悲劇といえばそれまでだが,生きていれば90歳くらいのおじいさんだろう.記事を見 て,一隻不明を思い出し,やっと見つかったかと思った.海底から発見された自爆した2艇に対しては,そのときオーストラリア海軍は海軍葬をしてくれた.今回も環境大臣が談話の中で敬意を表明.過去は互いに敵だった.日本と同じ海洋国家の誇りだろうか,日本海軍兵にmidget-austA002-2対し丁寧な扱いをしてくれている.数少ない武士道の分かる国である.
日本は,こういう国と仲良くしなければいけませんね.散々支援してもミサイル打ち込む馬鹿もいる.歴史の一部を虫眼鏡で見つめながら大騒ぎするのも居る.さらに,政治事ならいざ知らず,他国の宗教観や通念にまで文句言うやからも居る.

オーストラリアの対応を見ていると,国家の品格を感じる.過去起きたことの是非はここでは書かない.若く散った海軍兵士よ,安らかに.ついでに書けば,発見したダイバーも敬意を表して花輪をささげてくれたことに感謝したい.
toku-ban01toku-asibe03写真上は見つかった特殊潜航艇.先月末.シドニー湾にて.額の遺影は伴勝久中尉=当時(23)(戦死後少佐に昇格)愛知県碧海郡高瀬町 出身 もう一人が芦辺守一等兵曹:写真下左=当時(24)(戦死後に特務少尉に昇格)和歌山県海草郡貴志村 出身.(追記)ブログに書いた後で報道があり,正式に二人が乗っていた特殊潜航艇と確認された.参考記事:特殊潜航艇 特攻:資料記事  特殊潜航艇艇長 松尾敬宇
nappi11 at 21:23│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック