2006年04月

2006年04月30日  ネコ 個人

フー、機嫌直ったか?

Ci110104154757去年はおしっこの出が悪くて、散々医者通いの年でしたが、今年は..チョット朝のおしっこの量が少ない.去年のことがあるので早めの処置をと病院へ..連れて行くのはかみさんの仕事.
キャリーバッグ見た瞬間から逃げる、..が必死の抵抗むなしく拉致されました.
結果は別状無く、念のためおしっこを検査する予定とのことで、まずは安心.何しろ去年は手術寸前まで行きましたからね.
帰って来てからが大変です.医者よりも何よりも外へ出るのさえ大嫌いなフーです.帰るなり玄関から身を低くしたままオジの部屋へ直行.ソファーで横になっている私にも気がつかない.
誰もいない部屋から飛び出してくるなり寄ってきて一声「ニャー」..助けて..とでも言ってるのでしょうか.仕方なく布団に入る.すかさずフーが飛び込んでくる.
布団の中では一所懸命毛づくろいです.知らない人のにおいを取っているのでしょう.
下の写真は、落ち着いて自分の寝床で一休みのフー.聞けば病院では相当緊張したのか、肉球にタップリ汗をかいていたらしい.大変でしたねフーちゃん.

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2006年04月27日  個人 旅、冒険、

今だから書けること 10

下の写真はお茶漬けの素である.これとオジの海外生活がいかなる関係にあるのか?
ちなみにこの会社のコマーシャルは大嫌いである.あのガツガツご飯かきこむCM見て、製作の博報堂のセンスを疑ったものです.さすがに非難が多かったと見えて消滅しましたが..
 
秋にイギリスの学校にに行く前にフィンランドで資金を稼ごうと思ったのは5月頃でしょうか.偶然、フィンランドの田舎で一人旅をしている日本人に会ったのだが、(今では名前も何も覚えていない.)彼は仕入れた小さな絵を訪問販売しながら旅をしていました.
分かれて一人になり、ふと気が付いたのが日本から持ってきた名刺大の浮世絵.旅に出る前、お茶漬けの中に入っていたのを集めていたのです.ヒッ チハイクのお礼に差し上げようと、わざわざ持ってきた物でした.それを水彩でA4くらいに手書きで拡大して描いたものを売ろうと言う魂胆です.
安宿やユースホステルに泊まりながら、とにかくひたすら描きだめしました.簡単な額に入れてフィンランドの田舎のお宅を回るわけです.当時は言葉も何も出来ません.体当たりでした.
結果は...売れましたね.朝から晩まで、一軒一軒、買ってくださいと訪ねるのですが、当然多くは断わられます.1枚15FMK(フィンマルカ)、当時で1000円ほどでしょうか.
生まれてはじめての商売でした.売れた日はその町のディスコへ直行.遊びたいわけではないのです.
女の子を捜して、宿代を浮かそうと言う腹積もり..
うまくいかない日はディスコの外でしょんぼりと..これも演出.必ず誰か女の子が声をかけてくれました.若いから出来た、なんとも恥ずかしい青春の1ページです.
そのときは、まさか数年後にフィンランドに住む事になろうとは思っても見ませんでした.
 
 

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2006年04月23日  ネコ 個人

北のネコ

なにやらわけの分からん写真を1枚.クリックして拡大しても意味不明な写真..
実はこれ、ソファーカバーの中で寝ていたフーのしっぽです.
 
誰もいない居間に行ってフーを探したが見当たらない.普段は呼べば答えるワンコネコなのに、どこで寝てるのか..思いつくままに探しても見当たらない.
最後の手段がある.「フーちゃん!ご飯だよ!」..奴はこれにめっぽう弱い.
呼んでみた..普段はすぐ出てくるのだが..なんとソファーカバーの布の中からしっぽだけが出てきてパタパタしている.やっぱりネコである.無意識にしっぽが反応してしまう.あわてて取った記念写真(何の?)..
春なんですね.ネコも春眠暁を覚えずか..いつにもまして眠たかったようです.
 

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2006年04月23日  個人 ネコ

北のネコ

3FbRsなにやらわけの分からん写真を1枚.クリックして拡大しても意味不明な写真..
実はこれ、ソファーカバーの中で寝ていたフーのしっぽです.
 
誰もいない居間に行ってフーを探したが見当たらない.普段は呼べば答えるワンコネコなのに、どこで寝てるのか..思いつくままに探しても見当たらない.
最後の手段がある.「フーちゃん!ご飯だよ!」..奴はこれにめっぽう弱い.
呼んでみた..普段はすぐ出てくるのだが..なんとソファーカバーの布の中からしっぽだけが出てきてパタパタしている.やっぱりネコである.無意識にしっぽが反応してしまう.あわてて取った記念写真(何の?)..
春なんですね.ネコも春眠暁を覚えずか..いつにもまして眠たかったようです.
 

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2006年04月18日 

英雄?

y1pcCrt5Y1YcwUJuyyMCz2IQxtaDHIzjmgdBzHM日本のマスコミ報道はかなり規制されている.今に始まったことではない.
しかし、まがりなりにも自衛隊を派遣している戦争の報道が少なすぎる.残酷な話だが、毎日の米軍の死者カレン ダーなるサイトがある.それを見ると、すでに四年を迎えて、米軍だけで2500人を超えている.最近、特に今月に入ってすでに60人以上、異常に増えてき ている.沈静化どころか悪化しているのが現状.右の3人は女性も含め戦死した方である.志願兵なのは事実だが、無事生還した際に、大学の学費が免除とか、資格が付くとか、市民権がもらえるとか、とにかく平々凡々と過ごしている人間よりは生きるのに前向きな人たちである.イラク人の犠牲者はそれを上回ると想像する.
ここで一般的な反戦を書くつもりはない.イラクの実情はすでに宗派同士の争いになり、宗教者が他宗教の虐殺命令を出し、女性の略奪を命じる異常な状況になっている.内戦である.自衛隊が国際紛争だから協力するという大義名分はなくなったと思うのである.
ベトナム戦争の頃、韓国が兵隊を送り込んだ.結果は要請した米国が目をむくほどの残虐行為に走り、ベトナム人を 強姦し、切り刻み、拷問し、そのひどさは韓国内部でも問題になった.帰国兵の多くが精神を病み、犯罪も増加した.ベトナムが平和になってから、タイ経由で 数年後にベトナムに入った時、鋭い視線で「お前はコリアンか?」とベトナム人に聞かれた.日本のパスポートが無ければ少なくても殴られていただろう.韓国 の命がけの戦争協力はウラミだけを残したのある.攻撃されれば相手を殺す.捕まえれば拷問もする.それが兵隊である.送り込んだ日本の政府は、自国の国民 にそんな経験をさせたいのだろうか.
所詮は鉄砲担いだこともなく、TVの番組で馬鹿笑いしている程度の政治屋連中が、国際協力の美名の下、国際的な面子の為に決めたことである.
もういい加減に帰してやってほしい.あの国で死んでも名誉の戦死にはならない.大義名分の無い死はただの無駄死にである.


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5件のコメント

  1. 九州のじい様
    投稿日時: 2006年4月18日 9:23 PM | パーマリンク | 返信

    おじまします ちょっと 御免ね  此れわ 男 女  見解 違います 貴方が 明日知れぬ環境置かれ 動かぬ 鳥 居ます どお します 食べますか 逃がしますか  いい話も有りますよ
     
    其処で 北さんんん 支持道理  ねこねこねこねこねこねこんんん居った 私とこに 誰か捨てたみたい
    今 神様 仏様 機嫌 取って 猫様 願い居ります 親 だから何処か 行くかも判りませんが
     

  2. なつ*さゆり
    投稿日時: 2006年4月19日 9:46 AM | パーマリンク | 返信

    政治家の人たちは国益を考えて決断されるのでしょうが・・・現状をもっとよく見てほしいものですね。

  3. 尚(仮名)
    投稿日時: 2006年4月19日 2:42 PM | パーマリンク | 返信

    これだけの方々が亡くなっているという事実があまり知られていないのが日本の実情なんですよね…。
    戦争を放棄している国が、かの地に行く理由が未だに理解できないです。
    自分の国の人間が死んでほしくないとかの理由で反対している訳ではなく、復興のために現地入りしているという事をかの地のテロリストたちは信じていないのに。
    が、理由の半分くらいかな。
    そして、その中でどれだけの復興に尽力できるのか謎だからですが…。
    信仰心の薄い宮間には、宗教戦争って理解出来ないっす。
    どうしてお互いの宗教を認めあうことができないんだろう…

  4. kako
    投稿日時: 2006年4月20日 2:01 AM | パーマリンク | 返信

     
     TVで自衛隊報道は、めったしないし、イラクの現状は、一般人はほとんど知らないのが現状と思う。
     イラクが宗教戦争と化してるのは、わずかにわかってたが、そこへ派遣されてる自衛隊、およびアメリカの役割は、なんだろうと思う。目的もはっきりせず、 戦争犠牲者となる若者の死を、口先だけの政治家は、いかなる気持ちでみてるのか、疑問に思う。日本の国会は、偽メール問題ばかりで、騒ぎすぎよ。

  5. Kumiko
    投稿日時: 2006年4月20日 3:54 AM | パーマリンク | 返信

      本来宗教は人を良い方向に導くもののはず・・・
    宗教を口実に欲望の赴くまま暴走しているような気がします。
    イスラムの世界も私たちが共感できる素晴らしい文化があるはず、
    過激派と言われる人達のために悪いイメージ持ちたくないですね。
     アメリカのメディアは戦死者の数や戦士の体験などを伝えていて
    NHKなどで特番でもあってたりしましたね。戦争という名目で戦う国は
    どちらも痛手を受けている。新型兵器の威力を現地人で試したと
    非難を受けたり、防護服を身に着ける必要がありながら兵士に伝えず
    戦地に送り出し後遺症に悩ませられている帰還兵をもつアメリカ。
    自爆テロしたものは英雄扱いされるイラク。目を背けたい部分にも
    目をむけるのは大人としての責任ですよね。
     自衛隊のイラクでの情報めったに入ってこないことも問題かも。


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2006年04月13日  個人 旅、冒険、

今だから書けること 9 (8からの続き)

ヨーロッパを旅していて、よく会うのはドイツ人の学生だっただった.そのドイツ人でさえ「日本人とコカコーラはどこでも目に付く」と言われるほ ど当時は日本人が多かった.頃は大学紛争で、大学が1年間休校なんてことが有った頃である.ドイツ人に聞くと、旅は学校の勧めであり、しっかり単位もくれ るとのこと..実際、旅をうまくするには前に書いたEQの高さが要求される.ドイツ人はその辺を見拭いているのだろう.さらに多くの国には徴兵制があり、 全寮制の学校も多い.
この辺が、協調性などに磨きがかかる要因ではないかと思っている.
 
後年、北欧で自動車学校で免許を取ることになった.同じ頃、大使館勤務で官費の語学研修中のA氏と同席となった.私は何なくペーパー、実車走行のあと合格したが、A氏が合格しない.
教官に聞くと、さすが東大出である、ペーパー試験は合格だったが、実車走行が散々で、とても免許をやれないと怒っている.
まずは、教官の言うことは聞かず、勝手に走る.通行人がいても止まらない.強引な車線変更..
教官の言葉を直訳すると、とてもこんな野蛮人にライセンスはやれないとまで言う.
私が、それでも彼は日本ではエリートだと言うと、「この国でエリートとは、人間的にバランスの取れた人を指すのであって、あんな人間はエリートではない!」と言う.ごもっとも
どうやら彼の言葉遣いにも問題があって、英語のプリーズに当たる言葉は使わず、ほとんど命令口調で話すようだった.実際、大使館で初対面のとき、「あんた、今日は何の用?」と聞かれた.
その聞き方が失礼とは思っていないようである.
 
これが先に書いた、IQは高いが、EQが最低な男の話である.
彼はその後何とか免許を取ったが、すぐに自損事故を起こし、程なく本国、日本への送還となった.
願わくば、役人になって海外には行ってもらいたくないタイプである.本人はご存命中と思うので敢えてA氏と書かせてもらった.読んで心当たりがあればコメント下さい.(笑)
 

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2006年04月12日  個人 旅、冒険、

今だから書けること 8

周りに外国人が増えてきた昨今ですが、異国に住んでいると、時折欧米人に対し、なぜだろうと思うことは多いのだが、特に、彼らの外国人への接し方が、実におおらかなのは不思議だった.
子供から、大人.貧しい人から、知的な人まで、知らない者にも実にフランクで、フレンドリーで気持ちがいい.日本人の多くは、打ち解けるのにかなり時間がかかる.
この差は一体どこから来るのだろう?一般に言う、知的水準、IQだけなら日本人は高いはずである.
色んな場面を想定すると、どうも EQ の差に違いが有るのではないかと思う.詳しくは下線の部分を参照していただくとして、簡単に言えば、社会性、協調性、他人への思いやりである.
国際的なEQの比較だと、欧米の中でも北欧はこの水準が高いとされている.
マナーにうるさいのも、人に不愉快な思いをさせないとの配慮からで、音を立てない、食べているときは歯を見せない、などなど知らない人からも注 意されることがある.欧米人には、日本のTVの番組で、むしゃむしゃと物を食うのは、見るのも耐え難いと想像する.自分も洗脳されたのか、見ていて嫌にな る.
自分のEQが低かった頃の、典型的な例を書こう.
北欧で学校にいた頃、学校の主催でディスコパーティーが開かれた.社交ダンスの延長で有るから、男が女性を誘い、ペアになってリズムを取る.一人や集団で踊るなど、日本と一部の国だけだろう.
当然、好みの女の子を血走った目で探す.かっこいい娘は次から次へと誘われて座る暇も無い.
一般のディスコであれば、男女とも目的は恋人探しである.女性はタイプで無い男性に誘われたら、友達を待っているとか何とか理由をつけて断る が、このような親睦パーティであればほとんど断わられることは無い.しかし、マナーを知らない私は、やっぱりお目当ての女性と踊りたくてウズウズしてい た.
急に先生が話しかけて来る.「ヘイ!どうして誘ってあげないんだ?ほら、あそこに踊りたくても誘ってくれなく困っている女性がいるだろう」...チョット、怒り気味だった.ほとんど軽蔑の目線であった.
...「そうか..」 やっと空気が読めた.私の遊び方はわがままだった.
自分が楽しむのと同じくらい、いや、それ以上に、楽しませてあげる方が大事なんだ.
よくよく見れば、つまらなそうな女の子にもジョークを飛ばしまくって騒いでいる奴ほどモテている.
ほどよく気配りが出来、スマートに遊ぶ、スマートはもともと賢いと言う意味だから、なるほど、そういう男がかっこいい男の代名詞だと気が付いた.
考えを切り替えて、私も何とか多少モテる男に変身したのです.
 
IQなら自分の努力と他人の補助で上げることも出来る.しかし、EQは人に教えてもらわなければ自分の中で育ちも、定着もしないのです.世の中 の、引きこもり、登校拒否、全てはこの部分の欠如でしょう.貴方が親であったり、人に教える立場なら、人が人からしか学べないこの部分を、しっかりと伝授 してもらいたいものです.次には、高いIQにもかかわらず、EQの低い男が外国で運転免許を取る話です.
つづく...(なんか野比子風だな.)

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2006年04月10日  個人 旅、冒険、

今だから書けること 7

ロンドンに行けば皆、必ずピカデリーサーカスには行くだろう.そこから見える所に、かなり古いピカデリーホテルがある.そこで授業料と生活費を稼ぐために皿洗いをしていた.
皿洗いと軽く考えてはいけない、色々あるが、与えられたのは銀食器の洗浄、これは時給はいいが大変な作業で、苛性ソーダなどを使うため手の皮が なくなってしまう.ゴム手袋など役に立たず、それより、1mほどもあるパーティー用の食器はかなり重く、パーティーの後は、洗い場まで引かれた線路の上を トロッコに山盛りで洗い物がやって来る.
そこで、モロッコ人のおっさんと組むことになった.移民法の関係か、一定の外国人を雇わなくてはならない決まりだったので、こういうところには必ず外国人がいる.
モロッコ、アフリカの上にある、砂漠の国で、イスラム圏である.
このおっさん、外国にいてもイスラムのカレンダーで仕事するから、今日は断食だ、今日は絶食だ、
なんだかんだと働かない.おまけに、突然床にマットを敷いてお祈りを始めたこともある.
その頃はもう旅慣れていて驚きもせず、腹も立たないが迷惑は迷惑である.
このおっさんと数ヶ月一緒だった.覚えた言葉が二つある.マンジャーレとカプートである.
遅刻はするが、帰る時間とマンジャーレ(食事)の時間にはめっぽう厳格で、作業には機械も使うが、手洗いも可能だ.しかし、機械の調子がチョット悪いとカプート(壊れた)を連発して作業中止.
挙句の果てに、頭をさして、カプート.たぶん頭が痛いと言いたいのか、休憩.
顔は芸能人のモンキッキに、ちょび髭と天然パーマをあしらったようなおっさんだったが、気のいいおっさんだった.いくら説明しても、世界地図上の日本の場所はわからなかったが...
ある日、ふるさとではお祭りの日だとかで、壊れそうなカセットレコーダーを持ち込み、小さめな音量で音楽を流し、ステップを踏みながら皿洗いである.聞けば2年も帰っていないと言う.どこの国でも、おとうさんは大変なのです.
言葉の通じない私に,子供と奥さんの写真を見せ、一生懸命にしゃべる.
幸いトロッコも流れてこない.私は少し音を大きくして、銀盆をスプーンでたたきながらリズムを取った.我慢出来なくなったおっさんはついに踊りだした.
洗い場は、日本の兄ちゃんとモロッコのおっさんの踊り場と化した.私のは、ほとんどタコおどりだったが...おっさんの笑い顔をそのときはじめて見た.そして自分も心底笑ったのは数ヶ月ぶりだった.
日ごろうるさい監督がちらりと見たが、彼もどこか他からの移民である.気持ちが分かるのだろう、チョット、ウィンクしたのは黙認の合図だった.
これが本当の国際親善である.役人にも、仕送りで留学しているお坊ちゃまなどには経験できない、人と人の交流である.
 

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2006年04月07日  個人 旅、冒険、

今だから書けること 6

前回のソビエトの国境通過からは随分後になるが、ヒッチハイクでヨーロッパを北上していた頃.
今では、フランスだったか、ベルギーだったかはっきり記憶が無いが、とにかくその辺の出来事.
とんでもない田舎道で降ろされたのはすっかり夜になった頃だった.もう少し行けば大きな町に入るのだが車も来ない.テントを張るのも面倒くさい ほどに疲れていた.人の車に乗るだけがが、礼儀としてうたた寝などはしてはいけない.同乗中はジョークでも飛ばして、なごまなければなりません.
むすっとしていると、さっさと体よく降ろされてしまうのがオチである.ヒッチハイクは結構疲れるのです.
見れば道端に大きな建物があり、鍵こそかかっていたが、低い門扉を乗り越えると大きな納屋のような建物が建っている.何とか中に入れる程度に開 いたのを幸い、夜露をしのいで寝袋で寝ることに決めた.ヒッチハイクのコツは早朝に車をつかむこと.早朝は長距離トラックがつかみやすい.
道が込むとパトカーに注意されたりもする.朝早く出かければ見つかりはしないだろう.
中は真っ暗だったが、夜露がしのげれば上々である.
朝方早く目が覚めると、寝ている脇に大きなガラスケースがある.窓の日差しでよく見ると......
なんと中には骸骨が..少し掘られた土の中に全身が横たわっている.寝ぼけて、さっぱり理解不能.正気だったとしても、現実にはありえない状況である.
俺は一晩骸骨の横で寝ていたのか..ナンマイダブツと異教徒の呪文を唱え、リュックを引きずるようにそこを出た.外でバッタリ爺さんに見つかった.「決して怪しいものでは..」とか何とか説明した.
爺さんはそこの管理人で、そこは昔の由緒ある城の一部だそうで、今は博物館になっているとの事.
私が寝ていたのは牢屋の跡、そこの地面から身元不明の古い人骨が出たので、カバーを掛けて
見せているのだそうだ.笑いながら「よく眠れたか?」と聞かれたあと、コーヒーを御ちそうになり、
ヒッチハイク続行.
私は一体、誰の横に寝ていたのでしょう?今では知るすべも無いが...いまだに気にはなる
書いていて思い出したが、確か女性だと聞いた記憶がある.
 
 

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2006年04月05日  個人 旅、冒険、

今だから書けること 5

当然だが一人旅には危険が多い.要は危険な所へ近づかなければいいのだが、始末に悪いのは
誤解や、アル中とのトラブルである.欧米のアル中の多さは日本の比ではない.
友人も道路で時間を聞いただけで刺されたことがあった.
誤解から起きたオジの災難を書こう.
シベリア鉄道、飛行機と乗り、モスクワでさらに鉄道に乗り継ぐ.目指すは最初のヨーロッパ、フィンランドである.途中、国境を越える.目隠しのつもりか、両サイドは樹木ばかりで退屈な風景が続く.
コンパートメント(個室)から出て通路でカメラのレンズを磨いていた.当然、フィルムは入っていないし、
フィルムの入る部分も開けて掃除をしていたのだが、いきなり、国境警備の若い兵隊がロシア語でわめきだした.聴けば国境通過時にカメラ撮影は禁 止だと騒いでいる.規則だらけの当時のソビエトである.そんなことは知っているが、フィルムの無いのは一目瞭然、ほとんどいいがかりで、後から思うに、
多少のルーブル(ソビエト通貨)でも渡せばよかったのかもしれないが、私も若い.カッと来た.
軍靴で蹴られ、こちらも突き返す.多少アルコール臭い.
そのときである、背中に硬いものを感じた...もう一人の兵隊が私の背中に軽機関銃の銃口を
押し付けている.少し年配の兵隊であった.
一方的に怒鳴りつけられながら移動させられると、窓に格子の入った小部屋に入れられ鍵を掛けられた.列車の中の独房だった.
そのままフィンランド領に入るまで、約半日横にもなれない硬い木製のベンチで過ごすことになったのである.その後も危険なことは多々あったが、 これが以後、数年間続く海外生活の最初の危機であった.人工的に作られた当時の共産主義国に国家統制が重要なのはわかるが、その反面、実に融通の利かな い、規則だらけで、軍人が威張りつくす国になっていた.
すでにマルクスも読んでいた私だが、すでにそういう主義には熱が冷めていた.
その狭い独房の窓から、モスクワで手に入れた日本語で書かれた共産主義をたたえる小冊子のページを、ひたすら破っては捨てて時間をつぶしていた.ヨーロッパはもう目の前だった.

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