南太平洋で、1930年代の女性用化粧用品や小さな骨が見つかり、当時約2万2千マイル(3万5千キロ)の世界1周飛行に飛び立ち行方不明になった米国の有名女性飛行士women aviatorアメリア・イアハート(Amelia Earhart1897–1937 写真左右)さんの遺骨ではないかと調査中 だ。
イアハートさんの最期は、航空史ミステリーの1つで、1937年6月、赤道上世界一周飛行‘round-the-world flightの途上、現パプアニューギニアのラエLaeから Howland Islandを目差して飛びたち、アメリア・イアハート博物館(Amelia Earhart Museum)によると、現在までイアハートさんの乗った双発のロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)号は途中で海に不時着し、同乗したナビゲーターのフレッド・ヌーナンFred Noonanさん(男性:写真左)も死亡したとされている。当時すでに米国と関係が悪化していた日本海軍も、捜索に参加した記録が残っている。2010年12月21日の参照記事
第一次世界大戦では負傷兵の看護の仕事をし、その時1920年に初めて乗った飛行機が彼女の運命を変えた。彼女は1923年にライセンスを得て、1928年世界で最初の女性大西洋飛行、1932年には最初の大西洋女性単独飛行、1935年には世界初のホノルル、カリフォルニア女性単独飛行を記録している。1930年から35年の間だけでも7つの新記録を作り出し、世界一周を最後の記録への挑戦としていた。
しかし最近、米国の航空遺物修復活動団体TIGHARが、2人がキリバスの無人島、ニクマロロ島(Nikumaroro Island:旧名 Gardner Island)に着き、漂流者としてしばらく現地で生き延びたと推定できる証拠を発見したという。過去10年で10回の捜索隊をニクマロロ島に派遣し、今年になって3個の小さな骨(上右、指の骨と思われている)を収集した。すでに、1930年代の女性のメイク用コンパクトや割れた鏡、ポケットナイフ、米国製のボトル、ジッパー、焚き火跡なども発見されており、骨片は現在オクラホマ大学Oklahoma UniversityでDNAの鑑定中で判明には約1ヶ月かかる。遺体は島に多いヤシガニなどに食べられたと見ている。右下は、地球を東に回る世界一周の飛行経路 Amelia Earhart Flight Planで、全金属製の飛行機の使用も世界初で、旅客機の座席を取り払い燃料タンクを増設し、軽量化が施されていた。無線通信機も搭載していたが、うまく機能していなかったとも言われる。左下は絶海の孤島ニクマロロ島。ウィキペディア 彼女の幼少期からの写真
2011年3月1日:調査団体TIGHARによれば、2011年3月時点では、発見された骨片が人間のものかどうかの鑑定が出ていないという中間報告がされている。サンプルが不完全な事によるが、人間のものである可能性は高く、DNA鑑定技術の進歩を待つしかないと研究者の報告がある。参照記事 :TIGHARによれば、エアハートの飛行から75年になる2012年7月、ニクマロロ島付近の海底捜査を計画している。右は、1908年、イアハート10歳のころ。
2012年4月2日:米国のヒラリー・クリントン Hillary Clinton国務長官が、調査団体に政府からの50万ドルの資金提供を約束した。調査は行方不明から75年の今年7月2日再開される予定。調査地はGardner Island, 現在名 Nikumaroro Island。2011年、別な調査で、Nikumaroro Islandから約3千キロ(1756マイル)離れたBuka Islandで飛行機の残骸が発見されたとの報告もあるが、現在は無人島のニクマロロ島Nikumaroro Island(旧名Gardner Island)に漂着し、数週間で餓死したと推測されている。参照記事
この無人島から見つかった有力な手掛かりの一つは、5つに割れていたガラス瓶(写真右の左)で、これは当時売られていた「しみ、そばかすを取る軟膏:Dr. Berry's Freckle Ointment,」が入っていた容れ物(右)と同じで、すでにイアハートが当時しみやそばかすを嫌っていたことが確認されている。参照記事
2012年7月3日:調査隊が3日、キリバス領ニクマロロ(Nikumaroro)島での調査に向けて出発する。調査を行う「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」は、イアハートが墜落後も生存していた可能性を、最先端機器を用いて探る予定。2009年に南大西洋に墜落したリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)発パリ(Paris)行きのエールフランス(Air France)機からフライトレコーダーを回収したのと同様の遠隔操作装置や、海底を調べるためのマルチビーム測深機が用いられるという。 ニクマロロ島周辺では機体の残骸の目撃証言があったとされ、調査隊は、墜落後にを生き延びたイアハートがこの島で、一定期間生存していた仮説を立てて調査を行っている。YOUTUBE映像
2012年8月22日:「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」による調査で撮影された高精細映像を分析したところ、キリバスのニクマロロ島(Nikumaroro Island)の西の海底に「人工物」が散乱しているのが発見された。過去23年間で10回目の調査となった7月の調査では、イアハートが緊急着陸してしばらく生存していたとみられている無人島の周辺の海底の撮影が行われた。
TIGHARの責任者、リチャード・ジレスピ(Richard Gillespie)氏は、AFPの取材に「海中写真には、着陸装置の部品と一致する物体が写っている」と語り、タイヤの可能性がある物体を調査チームが発見したと述べた。「これは進展が期待できる」とジレスピ氏は述べた。「さらに詳細な分析をする必要がある。ミステリーが解明されたとわれわれは思っていない。これは調査の次のステップだ」参照記事より抜粋
2012年9月13日:過去にジャーナリストがjournalist Fred Goernergが著書「 "The Search For Amelia Earhart,"」で、エアハートと同僚は、スパイ容疑でサイパンに連行され、その後拷問を受け、処刑か病気でサイパンで亡くなり埋葬されたと書いていた。
このことの根拠はないが、当時の日本帝国海軍が海上捜索に協力したという事実は残っている。
最近 Mike Campbellが書いた「The Truth at Last,」でまたこの説を掲げ、エアハートの所持品、飛行機はサイパンにあり、このことを米国政府は知っていたが、彼女に日本軍のスパイをさせた事実を隠すために公表されていないという推論を書いているようだ。ほとんど珍説と言うしかないと思うのだが、、。参照記事
2013年4月25日;オーストラリア人の56歳の冒険家Michael Young氏は、独時の調査で、当時 Gardner Islandと言われた現在のニクマロロ島から、1937年7月、木の箱に入った、イアハートかフレッド・ヌーナンAmelia Earhart or her navigator Fred Noonanの遺骨がフィジーFijiの病院に鑑定のため届けられた可能性を確認したと発言し、本人は確認のため7月にフィジーに行く予定だという。病院か博物館にある可能性があるという。参照記事
2013年5月30日;「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」のソナーによる再調査では、無人島のニクマロロ島(i.e. Nikumaroro island)の海底183mにロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)の物ともわれる、長さ6,7mの物体を確認した。Lockheed Electraにほぼ間違いないとし、この状況から、機は海面で大破したのではなく、不時着して徐々に沈み、その間に緊急信号も発進しただろうと推測される。組織は、今回のデータ解析も含む、今後の回収作業の資金の調達に奔走するそうです。参照記事 参照記事
2013年6月12日;上記の発見に関して、すでに2010年に沈没している残骸を確認してたと主張する米国の調査会社が、当時の調査費用を請求する訴訟を起こす動きがある。参照記事 映像記録
2013年8月12日:同姓名のコロラド州デンバーDenverのTVレポーターAmelia Rose Earhartさん 30歳 が2014年夏、イアハート氏と同じコースで約100時間以上をかけてPilatus PC-12NGで世界一周をする計画を発表した。一時イアハート氏との血縁があるともされたが、その後の調査で亡くなったイアハート氏とは全く血族関係はないと判明し、本人もそれを認めている。成功すれば、単発機で単独世界一周をした最も若い女性となる。飛行中に14か所に着陸し副操縦士が同行の予定 参照記事 参照記事 2014年1月の記事では、飛行予定は2014年4月から6月、世界一周を、14日から17日間かけ延べ約100時間の飛行で終える予定
2014年7月11日;2014年6月26日、カルフォルニアのオークランドOaklandを副操縦士Shane Jordon と共にPilatus PC-12NGで出発し、17か所に離着陸し、延べ飛行108時間かけて同年7月11日 Oaklandに戻り、Amelia Rose Earhartさんが、単発機で世界一周をしたもっとも若い女性となった。現在31歳。
2015年6月2日;伝説の女性飛行士遭難の謎、異説が浮上 アメリア・イアハートはマーシャル諸島 ミリ環礁Marshall Islands,Mili Atollに降り立った?
ワシントン州の高校で理科を教える53歳のディック・スピンクDick Spink氏はまったく違う説を唱える。エレクトラは進路を大きくそれ、マーシャル諸島のミリという小さな環礁に着陸したというのだ。しかし、マーシャル諸島説を唱え始めたのはスピンク氏ではない。1960年代、CBSの特派員フレッド・ゲルナー氏が「The Search for Amelia Earhart(アメリア・イアハートを探して)」という著書を出版し、氏の著書によると、イアハートとナビゲーターのフレッド・ヌーナンは、マーシャル諸島に着陸した後、日本軍の捕虜となり、船でサイパンに移送されて収容中に死亡したという。1937年の記録映像と記事
スピンク氏の研究は、当時ロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)号に燃料装置を提供したパーカー社から資金援助を受け、ミリ環礁から証拠品になると思われるものを採取し、当時機体にアルミ材を提供したアルコア社とパーカー社は現在、マーシャル諸島から持ち帰った破片を分析し、アルミニウムと塗料がエレクトラのものと一致するかどうかを確認している。写真はミリ環礁とイアハートさんと彼女の乗った双発のロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)号、不時着したとされる場所の位置と予定航路 英文記事
2015年6月18日:現在無人島のニクマロロ島Nikumaroro Island(旧名Gardner Island)では、1989年の調査「Niku I」以来8回目になる「Niku VIII」現地調査が島と海中で行われている。調査は「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」によるもので、グループは「The Earhart Project」と呼ばれる。6月8日にフィジー Figiを大型ヨットで出発した一行は14名で24日間かけて調査を行う。潜水用具や小さな遠隔操作できる海中探査機( a small, remotely operated vehicle :ROV) も用意している。地図は、エアハートの目的地だったHowland Island、ニクマロロ島Nikumaroro Island(左下)、及びフィジー Figiの位置。 参照記事 参照記事 参照記事
2016年11月2日:歴史的航空機の発見を目指す国際グループ、The International Group for Historic Aircraft Recovery(TIGHAR)は、ハウランド島からほど近いニクマロロ島Nikumaroro Island(旧名Gardner Island)で新たに見つかった骨の一部を法医学から調査した結果、イアハートさんが島に漂着し、数日、またはそれ以上島で生存して亡くなった可能性が高いと発表した。同乗していたナビゲーターは不時着の際に死亡し、遺体は流されたと推論している。島には焚き火跡があり、イアハートさんが魚や鳥を食べて生存していた可能性があるとされる。参照記事
その後の経過:2017年7月 アメリア・イアハートさん捜索に新たな証拠?
イアハートさんの最期は、航空史ミステリーの1つで、1937年6月、赤道上世界一周飛行‘round-the-world flightの途上、現パプアニューギニアのラエLaeから Howland Islandを目差して飛びたち、アメリア・イアハート博物館(Amelia Earhart Museum)によると、現在までイアハートさんの乗った双発のロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)号は途中で海に不時着し、同乗したナビゲーターのフレッド・ヌーナンFred Noonanさん(男性:写真左)も死亡したとされている。当時すでに米国と関係が悪化していた日本海軍も、捜索に参加した記録が残っている。2010年12月21日の参照記事
第一次世界大戦では負傷兵の看護の仕事をし、その時1920年に初めて乗った飛行機が彼女の運命を変えた。彼女は1923年にライセンスを得て、1928年世界で最初の女性大西洋飛行、1932年には最初の大西洋女性単独飛行、1935年には世界初のホノルル、カリフォルニア女性単独飛行を記録している。1930年から35年の間だけでも7つの新記録を作り出し、世界一周を最後の記録への挑戦としていた。
しかし最近、米国の航空遺物修復活動団体TIGHARが、2人がキリバスの無人島、ニクマロロ島(Nikumaroro Island:旧名 Gardner Island)に着き、漂流者としてしばらく現地で生き延びたと推定できる証拠を発見したという。過去10年で10回の捜索隊をニクマロロ島に派遣し、今年になって3個の小さな骨(上右、指の骨と思われている)を収集した。すでに、1930年代の女性のメイク用コンパクトや割れた鏡、ポケットナイフ、米国製のボトル、ジッパー、焚き火跡なども発見されており、骨片は現在オクラホマ大学Oklahoma UniversityでDNAの鑑定中で判明には約1ヶ月かかる。遺体は島に多いヤシガニなどに食べられたと見ている。右下は、地球を東に回る世界一周の飛行経路 Amelia Earhart Flight Planで、全金属製の飛行機の使用も世界初で、旅客機の座席を取り払い燃料タンクを増設し、軽量化が施されていた。無線通信機も搭載していたが、うまく機能していなかったとも言われる。左下は絶海の孤島ニクマロロ島。ウィキペディア 彼女の幼少期からの写真
2011年3月1日:調査団体TIGHARによれば、2011年3月時点では、発見された骨片が人間のものかどうかの鑑定が出ていないという中間報告がされている。サンプルが不完全な事によるが、人間のものである可能性は高く、DNA鑑定技術の進歩を待つしかないと研究者の報告がある。参照記事 :TIGHARによれば、エアハートの飛行から75年になる2012年7月、ニクマロロ島付近の海底捜査を計画している。右は、1908年、イアハート10歳のころ。
2012年4月2日:米国のヒラリー・クリントン Hillary Clinton国務長官が、調査団体に政府からの50万ドルの資金提供を約束した。調査は行方不明から75年の今年7月2日再開される予定。調査地はGardner Island, 現在名 Nikumaroro Island。2011年、別な調査で、Nikumaroro Islandから約3千キロ(1756マイル)離れたBuka Islandで飛行機の残骸が発見されたとの報告もあるが、現在は無人島のニクマロロ島Nikumaroro Island(旧名Gardner Island)に漂着し、数週間で餓死したと推測されている。参照記事
この無人島から見つかった有力な手掛かりの一つは、5つに割れていたガラス瓶(写真右の左)で、これは当時売られていた「しみ、そばかすを取る軟膏:Dr. Berry's Freckle Ointment,」が入っていた容れ物(右)と同じで、すでにイアハートが当時しみやそばかすを嫌っていたことが確認されている。参照記事
2012年7月3日:調査隊が3日、キリバス領ニクマロロ(Nikumaroro)島での調査に向けて出発する。調査を行う「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」は、イアハートが墜落後も生存していた可能性を、最先端機器を用いて探る予定。2009年に南大西洋に墜落したリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)発パリ(Paris)行きのエールフランス(Air France)機からフライトレコーダーを回収したのと同様の遠隔操作装置や、海底を調べるためのマルチビーム測深機が用いられるという。 ニクマロロ島周辺では機体の残骸の目撃証言があったとされ、調査隊は、墜落後にを生き延びたイアハートがこの島で、一定期間生存していた仮説を立てて調査を行っている。YOUTUBE映像
2012年8月22日:「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」による調査で撮影された高精細映像を分析したところ、キリバスのニクマロロ島(Nikumaroro Island)の西の海底に「人工物」が散乱しているのが発見された。過去23年間で10回目の調査となった7月の調査では、イアハートが緊急着陸してしばらく生存していたとみられている無人島の周辺の海底の撮影が行われた。
TIGHARの責任者、リチャード・ジレスピ(Richard Gillespie)氏は、AFPの取材に「海中写真には、着陸装置の部品と一致する物体が写っている」と語り、タイヤの可能性がある物体を調査チームが発見したと述べた。「これは進展が期待できる」とジレスピ氏は述べた。「さらに詳細な分析をする必要がある。ミステリーが解明されたとわれわれは思っていない。これは調査の次のステップだ」参照記事より抜粋
2012年9月13日:過去にジャーナリストがjournalist Fred Goernergが著書「 "The Search For Amelia Earhart,"」で、エアハートと同僚は、スパイ容疑でサイパンに連行され、その後拷問を受け、処刑か病気でサイパンで亡くなり埋葬されたと書いていた。
このことの根拠はないが、当時の日本帝国海軍が海上捜索に協力したという事実は残っている。
最近 Mike Campbellが書いた「The Truth at Last,」でまたこの説を掲げ、エアハートの所持品、飛行機はサイパンにあり、このことを米国政府は知っていたが、彼女に日本軍のスパイをさせた事実を隠すために公表されていないという推論を書いているようだ。ほとんど珍説と言うしかないと思うのだが、、。参照記事
2013年4月25日;オーストラリア人の56歳の冒険家Michael Young氏は、独時の調査で、当時 Gardner Islandと言われた現在のニクマロロ島から、1937年7月、木の箱に入った、イアハートかフレッド・ヌーナンAmelia Earhart or her navigator Fred Noonanの遺骨がフィジーFijiの病院に鑑定のため届けられた可能性を確認したと発言し、本人は確認のため7月にフィジーに行く予定だという。病院か博物館にある可能性があるという。参照記事
2013年5月30日;「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」のソナーによる再調査では、無人島のニクマロロ島(i.e. Nikumaroro island)の海底183mにロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)の物ともわれる、長さ6,7mの物体を確認した。Lockheed Electraにほぼ間違いないとし、この状況から、機は海面で大破したのではなく、不時着して徐々に沈み、その間に緊急信号も発進しただろうと推測される。組織は、今回のデータ解析も含む、今後の回収作業の資金の調達に奔走するそうです。参照記事 参照記事
2013年6月12日;上記の発見に関して、すでに2010年に沈没している残骸を確認してたと主張する米国の調査会社が、当時の調査費用を請求する訴訟を起こす動きがある。参照記事 映像記録
2013年8月12日:同姓名のコロラド州デンバーDenverのTVレポーターAmelia Rose Earhartさん 30歳 が2014年夏、イアハート氏と同じコースで約100時間以上をかけてPilatus PC-12NGで世界一周をする計画を発表した。一時イアハート氏との血縁があるともされたが、その後の調査で亡くなったイアハート氏とは全く血族関係はないと判明し、本人もそれを認めている。成功すれば、単発機で単独世界一周をした最も若い女性となる。飛行中に14か所に着陸し副操縦士が同行の予定 参照記事 参照記事 2014年1月の記事では、飛行予定は2014年4月から6月、世界一周を、14日から17日間かけ延べ約100時間の飛行で終える予定
2014年7月11日;2014年6月26日、カルフォルニアのオークランドOaklandを副操縦士Shane Jordon と共にPilatus PC-12NGで出発し、17か所に離着陸し、延べ飛行108時間かけて同年7月11日 Oaklandに戻り、Amelia Rose Earhartさんが、単発機で世界一周をしたもっとも若い女性となった。現在31歳。
2015年6月2日;伝説の女性飛行士遭難の謎、異説が浮上 アメリア・イアハートはマーシャル諸島 ミリ環礁Marshall Islands,Mili Atollに降り立った?
ワシントン州の高校で理科を教える53歳のディック・スピンクDick Spink氏はまったく違う説を唱える。エレクトラは進路を大きくそれ、マーシャル諸島のミリという小さな環礁に着陸したというのだ。しかし、マーシャル諸島説を唱え始めたのはスピンク氏ではない。1960年代、CBSの特派員フレッド・ゲルナー氏が「The Search for Amelia Earhart(アメリア・イアハートを探して)」という著書を出版し、氏の著書によると、イアハートとナビゲーターのフレッド・ヌーナンは、マーシャル諸島に着陸した後、日本軍の捕虜となり、船でサイパンに移送されて収容中に死亡したという。1937年の記録映像と記事
スピンク氏の研究は、当時ロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)号に燃料装置を提供したパーカー社から資金援助を受け、ミリ環礁から証拠品になると思われるものを採取し、当時機体にアルミ材を提供したアルコア社とパーカー社は現在、マーシャル諸島から持ち帰った破片を分析し、アルミニウムと塗料がエレクトラのものと一致するかどうかを確認している。写真はミリ環礁とイアハートさんと彼女の乗った双発のロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)号、不時着したとされる場所の位置と予定航路 英文記事
2015年6月18日:現在無人島のニクマロロ島Nikumaroro Island(旧名Gardner Island)では、1989年の調査「Niku I」以来8回目になる「Niku VIII」現地調査が島と海中で行われている。調査は「歴史的航空機の発見を目指す国際グループ(The International Group for Historic Aircraft Recovery、TIGHAR)」によるもので、グループは「The Earhart Project」と呼ばれる。6月8日にフィジー Figiを大型ヨットで出発した一行は14名で24日間かけて調査を行う。潜水用具や小さな遠隔操作できる海中探査機( a small, remotely operated vehicle :ROV) も用意している。地図は、エアハートの目的地だったHowland Island、ニクマロロ島Nikumaroro Island(左下)、及びフィジー Figiの位置。 参照記事 参照記事 参照記事
2016年11月2日:歴史的航空機の発見を目指す国際グループ、The International Group for Historic Aircraft Recovery(TIGHAR)は、ハウランド島からほど近いニクマロロ島Nikumaroro Island(旧名Gardner Island)で新たに見つかった骨の一部を法医学から調査した結果、イアハートさんが島に漂着し、数日、またはそれ以上島で生存して亡くなった可能性が高いと発表した。同乗していたナビゲーターは不時着の際に死亡し、遺体は流されたと推論している。島には焚き火跡があり、イアハートさんが魚や鳥を食べて生存していた可能性があるとされる。参照記事
その後の経過:2017年7月 アメリア・イアハートさん捜索に新たな証拠?
コメント
2. Posted by 九州の案山子 2010年12月24日 05:40
お早う ございます
冬の無い゜孤島゜なら いきたいですねー
雨が 数日 降りまして ねーひまひま パソコン いじって
ライブカメラ 取れなく 成りました
マウス 暴れて コントール た゛め
リカバリ して 入れると いいてしょうが 待ったいない
二重゜ 入れたが 悪かった おもいます
冬の無い゜孤島゜なら いきたいですねー
雨が 数日 降りまして ねーひまひま パソコン いじって
ライブカメラ 取れなく 成りました
マウス 暴れて コントール た゛め
リカバリ して 入れると いいてしょうが 待ったいない
二重゜ 入れたが 悪かった おもいます
女二人、助けの来ない絶海の孤島で亡くなったかと思うと、気の毒としかいいようがありません。