2010年10月31日 歴史、史実、記録

2時間ごとに十二支があてられ、それを図にすると右の様になる(深川江戸資料館 加筆あり)。
表現には、二種類あり、子、丑、寅、卯…の十二支をあて「子の刻(ねのこく)」「丑の刻(うしのこく)」…という数え方と、「九つ(ここのつ)」「八つ(やっつ)」と数える方法があり、前者は主に武士、後者は庶民が使ったがはっきりした区分はなかったようだ。
- 朝6時30分が日の出なら、朝6時から朝8時が明六つ(卯の刻)で、日の出35分後位に起きて朝食、この頃男湯がはじまる。物売りも活動する。
- 朝8時から10時が朝五つ(辰の刻)…寺子屋がはじまる。
- 朝10時から昼12時までが昼四つ(巳の刻
- 昼12時から午後2時を昼九つ(午(うま)の刻 正午)
- 午後2時から午後4時を昼八つ(未の刻、お八つの時間)…子供が寺子屋から帰る。
- 午後4時から夕方6時を夕七つ(申の刻)
- 午後6時から夜8時が日の入りで暮六つ(酉の刻)…明るいうちに夕食、多くはこの頃床に付く 就寝
- 夜8時から10時が宵い五つ(戌の刻)
- 午後10時から夜中12時が夜四つ(亥の刻)
- 真夜中の12時から2時が夜(暁)九つ(子の刻)
- 真夜中の2時から4時が夜(暁)八つ(丑の刻、丑みつ時)
- 4時から6時が夜(暁)七つ(寅の刻、大名行列などの出発時間で「お江戸日本橋七つ立ち」はここから。魚河岸開始、商家の丁稚が起きるころ。
*丑三つ時(うしみつどき)」は深夜の2時頃で、この場合の「三つ」は、夜だ

*女性の寝ている写真は幕末から明治初期のもの
*♪ お江戸日本橋 七つ立ち 初のぼり 行列そろえて アレワイサノサ こちゃ 高輪 夜明けの提灯消す こちゃへ こちゃへ・・・参勤交代の大名の出発は幕府に暁七つ(午前5時から7時)に決められ、他の時間は許可制だった。日本橋からたってちょうど高輪(品川)辺りで夜が明けてちょうちんの火を消したというのが唄の内容。
この時刻表を頭に入れて、江戸っ子は「今 何時でイ?」「今は9つだ」「いや、まだ4つ時だろう」と会話していた。4つと9つが隣り合わせとは、現代人には何とも複雑な言い方にしか見えないが、、。江戸っ子は、朝まで遊んで朝湯に入り、それから家に帰るのが粋だったようです。ちなみに、当時の江戸では火事を防ぐため、お金持ちでも内風呂を持つことは出来ませんでした。
その他の 江戸の時刻と浮世絵、川柳
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コメント
2. Posted by みさ 2010年11月01日 01:18
冬と夏とじゃ日の出、日の入りが違うの???
時間は?どうなるの??
時間は?どうなるの??
3. Posted by よりばば 2010年11月01日 21:09
昔の人って凄い。季節によって”1時間”の長さが違うわけで、1日の始まり・終わりも季節により違うわけですね。太陽と共に暮らしたということですね。夕焼け小焼けの歌詞のよう、お寺の鐘の音と太陽の位置で時刻を判断できてたんですね!但しその鐘もジャストタイムの正確さじゃなかったらしい。アバウトさがいいですね。現代”サマータイム”導入が何回か話題になりますが、江戸では実践してたんですね。
田舎暮らしの鉄則だけど 最近は電化普及に伴って、遅寝遅起が一般的みたいw
丑の刻・・・幽霊さんこんにちわ、だけは遠慮したいw